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最高裁判所第一小法廷 昭和25年(オ)323号 判決 1954年1月21日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告訴訟代理人弁護士塩原時三郎の上告理由について。

第一点 所論は、原判決には人訴三一条の解釈を誤つた違法があると主張する。しかし、人事訴訟事件においても、裁判所がいかなる限度まで証拠調をするかは、裁判所が、すでに得た心証の程度により、自由にこれを決することを得るものであつて、人訴三一条もこの点に関し何等制限又は変更を加える趣旨を含むものと解すべき理由はない。そして、原判決の挙げている各証拠を総合すれば、原判決のような認定をすることはできるわけであるから、原審がこれらの証拠によつて得た心証をもつて十分なものとし、所論のごとき諸点につき更に証拠調をしなかつたことを捉えて、所論の違法があると言うことはできない。それ故、論旨は採ることを得ない。

第二点 所論は、内縁の子は、内縁成立の日から二〇〇日以後に生れた場合、又は内縁の解消した日から三〇〇日以内に生まれた場合は、民法七七二条を類推して、母の内縁の夫若しくは嘗て母の内縁の夫たりし者の子と推定されるから、すでに推定された父を持つている子が、その父に対してさらに認知を求めることは理論的に矛盾しその必要はない、と主張する。

しかし、民法七七二条の適用によつて嫡出子の推定を受ける子が、特に父の認知を必要としないのは、単に同条の推定があるばかりではなく、さらにその他に民法七七四条、七七五条、七七七条、人訴二九条により、嫡出子の推定は一定の期間内に否認の訴を提起してこれを覆す途が設けられているに止まり、それ以外の方法において反証を挙げてこの推定を争うことは許されていないものと解すべきだからである。また民法七七九条においては、嫡出子については認知を問題としていないし、民法七七六条では、「その嫡出であることを承認したとき」という表現を用い、認知という言葉は使つていない。しかるに、内縁の子についても民法七七二条が類推されるという趣旨は、事実の蓋然性に基いて立証責任の問題として、父の推定があるというに過ぎない。それ故、認知の訴訟において父の推定を受けている者が、父にあらざることを主張する場合には、その推定を覆すに足るだけの反証をあげる責任を負うわけである。そして、父と推定される者は、認知をまたずして、法律上一応その子の父として取扱われることもなく、また同様にその子は、認知をまたずして、法律上一応推定を受ける父の子として取扱われることもないものと言わねばならぬ。だから、父子の関係は、任意の認知がない限りどこまでも認知の訴で決定されるのであり(民法七七九条、七八七条)、その際民法七七二条の類推による推定は、立証責任負担の問題として意義を有するのである。

さらに、戸籍の取扱からいつても、嫡出子推定の場合には、婚姻の届出がすでにあるから、戸籍吏は形式的審査だけで戸籍簿に記入することができるし、父以外の者でも出生の届出ができていいわけであり、また戸籍法もそうなつている。しかし、内縁の夫婦については、もとより婚姻の届出はないのであるから、その父と推定される者の子として父の戸籍に届出ても、実質的審査権をもたない戸籍吏は、内縁関係の実質を調べるわけにはいかないから、現行戸籍法の解釈としてこの届出を受理することは許されないものと言わねばならぬ。それ故、戸籍の点からいつても認知の訴は必要となつて来る。されば、本件において原審が、内縁の子について民法七七二条を類推すべきものとしながら、上告人に対し被上告人の認知を命じたのは正当であつて、違法のかどはない。

よつて民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 真野毅 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 岩松三郎)

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